伊予 今治城
今治城:2010年5月1日・2010年10月2日
名 称
|
今治城
|
種 類 |
水城(県指定史跡) |
住 所 |
愛媛県今治市通町 |
上の写真が(職場の親族の方ご提供)日本三大水城の一つ、今治城です。
築城名人の藤堂高虎によって慶長九年(1604)に建てられました。
このページある写真は、広島県在住の方と、最近まで職場が一緒だった方の親族様から戴いた写真で構成しております。 ありがとうございます。 |
|
今治城といえば三大水城の一つとして有名ですが、他に同じ四国の香川県
・高松城、大分県・中津城とで三大水城となります(大分県…行けるかなぁ)。
更に今治城といえば、藤堂高虎の出世城の一つでもあります。
豊臣時代に宇和島城、
徳川時代に今治城、関が原の軍功により伊賀一国の上野城、と伊勢八郡の津城の藩主と出世していきます。
下の写真が(広島県在住の方のご提供)今治城が紹介されるときに、よく使用されている写真で、模擬天守と手前の二重櫓が山里櫓となります。
このアングルでの紹介写真がたくさんありますので、皆様方もご存知なのではぁ?
明治期の写真を元に、山里櫓が平成2年に再建されたそうです。
更に下にある写真が内堀に映えるさかさ今治城です。
城壁の外に広がるのが犬走りと云う遺構になります。 作者の記録では、同じ遺構で和泉の岸和田城があります。 やはりここ今治城も同じく石垣が軟いために補強・保守の意味で、この犬走りがあるそうです。
|
|
さて、この今治城の天守の存在に諸説あるようです。
慶長十五年(1610)に今治城の天守は丹波・亀山城、天下普請の際に移築したと書物に記されております。 築城後の六年間に今治城の天守が存在していたのかは、櫓台の他に天守台が存在していないため、現在でも判明していません。
作者の勝手な想像ですが、今治城在城時に、伊賀・上野城への国替の際に準備していた天守の資材を亀山城に献上したのではないでしょうか?
現在の模擬天守は、先述の亀山城を模して本丸の北隅櫓跡に築かれています。 |
|
|