和泉 岸和田城

岸和田城・復元天守

岸和田城・復元天守 2005年3月29日

名称

岸和田城

城の種類 平山城

 和泉・岸和田城です。
 久しぶりに石垣と復元ではありますが天守のあるお城に登城することが出来ました。
 昨日の天候とは打って変わって晴天での撮影となり、満足している次第です。

 この岸和田城を登城する際に二つの疑問がありました。 それは本丸石垣の南面だけにある犬走り、もう一つは同じく本丸の東面にある虎口が何のためにあるのか?です。

 普段は控え目な作者ですが(ホンマかいなぁ)、岸和田市立郷土資料館の受付の方に、この二つの疑問をぶつけてみました。
 上の写真がその犬走りのある本丸の石垣です。 素人の作者でも、いざ城攻めともなれば、この犬走りがあっては敵側に本丸の石垣に取り付きやすくなるのではないか?と、思ってしまいます。
 復元天守にある郷土資料館に入館すると、無料で「岸和田城いまむかし」と云う冊子が戴けます。それによると
「岸和田城の石垣は和泉砂岩というもろい石を多く用いてるので、壊れやすく、それを補強するために作られたのです。」と、あります。
 そう、結局受付の方に聞くまでもなく資料に書いてありました。(受付の方ごめんなさい)
 それでも受付の方に聞いた際に学芸員の方が説明に駆け付けて下さいました。 そこで第二の質問をしたところ、本丸東面の虎口には(左の写真)当時、太鼓橋のようなものが架けてあったそうです。
 納得です。。

 疑問があったら聞いてみるもんですねぇ。
 受付の方、学芸員の方、大変ありがとうございました。

東面にある虎口(天守から写す)  左の写真が、左上にある写真を、復元天守からのぞいた虎口の写真です。
 今になって思うのは、何故これほど堅固な虎口まで作って、ここに橋を架けたかったのでしょうか?
 石垣の整備をするために、犬走りまで抜けるためだったのでしょうか? 謎です。

 話は変わって、岸和田といえば「だんじり」が有名です。
 この岸和田城の入場券には、「きしわだ自然資料館」、「岸和田だんじり会館」、「岸和田城」の3館共通入場券(700円)が発売されています。 作者もこの入場券を購入して、岸和田城のほかに「だんじり会館」にも行って参りました。 迫力のだんじり祭りの映像が味わえます。

資料館の裏手にある石垣  建武元(1334)年頃に、楠正成の一族和田氏が、現在の岸和田城の近くの『岸』と云う場所に城を築いたところから、『岸和田』の地名が付いたそうです。
 時は移って秀吉の天下統一をなした頃、紀州の抑えとして中村一氏・小出秀政などが城主を務めます。
 この頃、天守閣などの城郭施設や城下町が整備され慶長二(1597)年に完成しました。
 江戸時代に入り、寛永十七(1640)年に岡部氏が入城、十八代続いて明治維新を迎えました。

 左の写真が天守閣を支える天守台の石垣です。
 写真をよくみると算木積みの間から、向こう側から光が差し込んで来るのが判ります?
 作者が感じたところ、復元天守の重みに耐えかねているように見えましたが、大丈夫でしょうか?

 でもこの復元天守、なかなか見ごたえがあり作者は気に入っています。。