伊賀 上野城

伊賀上野城と高石垣 2002年6月10日

名称

伊賀上野城

城の種類

平山城


 藤堂高虎の居城、伊賀上野城です。
 この天守は昭和十年、文化産業城として地元の郷士の方が現存していた天守台の上に築城されたそうです。
 この城の感想としては、やはり築城技術に名の知れた藤堂高虎が築いた、高石垣にかぎると思います。 この石垣の積み方は打ち込みハギと云われており、下の写真は高石垣の上からの写真です。 見事に石垣が反り返っているのがわかると思います。 また、さらに左下の写真は高石垣の全景です。

【伊賀上野城の歴史】
 大和郡山城から筒井定次が伊賀の国へ移り、この地に城郭を築いたのが始まりといいます。 慶長十三年(1608年)失政を理由に定次を改易させ、伊予から藤堂高虎が伊勢・伊賀を領する22万石の大守とし入封ます。 その後、元和元年一国一城令にも係わらず、この上野城を支城。津城を本城として領していたとは驚きです。 江戸幕府からの信頼の厚さを物語っています。


 上野城を見て感じたことは城の西側部分はご覧のように高石垣が見事なのですが、東側に行くにつれ、石垣がなくなってしまいます。 初めからこのような縄張りだったのでしょうか? それとも築城途中に大坂夏の陣が終わり城普請が出来なくなってしまったのでしょうか? どちらにしても見学した際は少し物足りなさを感じました。

 この付近の名所といえば、『伊賀越鍵屋の辻の決闘』でしょう。
左の写真が『鍵屋の辻』の道標です。 道標には「ひだりならみち、みぎいせみち」と記されています。 ここであの荒木又右衛門がお芝居で有名な『三十六人斬』で知られる、仇討ちが行われました。 実際の仇討ちは旗本側十一名、大名側(荒木又右衛門)4名だったそうです。