伊予 宇和島城
宇和島城・現存天守 2004年8月14日
名 称
|
宇和島城
|
種 類 |
水城(県指定史跡) |
住 所 |
愛媛県宇和島市通町 |
上の写真が伊予・宇和島城の現存天守です。
高知城に引き続き、広島在住の方から提供していただきました。誠にありがとうございます。
本城で当ホームページに掲載された現存天守は九城目となります。
あとどれくらいで、すべての現存天守を紹介できるでしょうか?
頂いた写真ですが、お城の写真として、躍動感があるように見えて気に入っております。
改めてご提供していただいた方にお礼を言いたいと思います。 |
現在の宇和島城を築いたのは、築城の名手、藤堂高虎です。
高虎が築城や修築、もしくは縄張を作成したお城は、今治城・津城・伊賀上野城・聚楽第・膳所城・伏見城・江戸城・篠山城・丹波亀山城・大坂城・二条城等など、多岐にわたっております。
江戸時代に入り、しばらくすると伊達正宗の長男・秀宗が入封します。
何故に長男なのに本家・仙台藩を継がなかったのか? 庶出って言葉、みなさんわかりますか?『しょ-しゅつ』と読みます。
意味は本妻以外の女性から生まれることを指します。 その庶出にあたるのが秀宗です。 作者としては武家の世、本妻でなかろうが、長子がその家を継ぐものでは?と思いました。
天正の時代、秀宗は豊臣家の人質となり、名を秀吉の一字をもらい秀宗と名乗りました。 そのことから江戸幕府に遠慮し、本家を継がなかったようです。
幕末、八代藩主・宗城は、四賢候(島津久光、山内容堂、松平春嶽)の1人として活躍し、明治に入っても大蔵卿などを歴任しました。 |
|
|