武蔵 鉢形城

鉢形城:空掘

鉢形城 空掘 2003年7月21日

名称

鉢形城

城の種類

平山城


 武蔵 鉢形城です。
 上の写真は鉢形城の二の丸と三の丸の間にある濠です。 鉢形城では現在、復元工事の真っ最中のようで、平成16年秋には鉢形城資料館が開館するそうです。
 開館後、また訪れたいお城です。

 鉢形城は大きく分けると本丸、二の丸、三の丸があります。 左の写真は、その本丸の搦手、笹曲輪付近にある本丸へ向かう階段です。  この鉢形城には河原石を使った石垣を使用していたらしく、この階段もその河原石を使っています。  戦国時代、石垣を使用した城郭は東日本では少ないのですが、ここ鉢形城では東日本独自の土塁の石積技術があったようです。 左下の石垣は秩父曲輪に約100㍍も続く石垣を復元したものです。

 初めに本丸付近を見学したのですが、高く積まれた土塁以外、これといった遺構があまりなく少しガッカリしていて、「あれー。鉢形城の遺構って、これだけかなぁ。。。」と、思い車を少し走らせたところ、左の写真のような広大な城郭跡を見ることが出来ました。(要望としては、「この先に二の丸、三の丸の遺構がある」と云った説明があってもいいかなぁ。と感じました。)

 左下の写真は、鉢形城の二の丸にあたる箇所です。  ここは元々本丸にある農林総合研究センターの敷地だったらしく、試験林があったようです。

 後から調べたのですが、この二の丸から城山稲荷神社に行けたらしく、更にその先には左下の馬出しの遺構に行けたようです。
(いつも思うことですが、見学前には念入りな事前調査が必要ですねぇ。)
 この馬出しの空掘りには、北条家特有の「畝堀」があったようで、保存のため埋め戻されたようでした。 このホームページにも小金城址の「畝堀」があり、その形状が判ります。
 あと岩槻城址にもやはり「畝堀」が存在していました。 以上は総て戦国時代後期に北条家の城となったものです。

 やはり鉢形城と云えば、天正18年(1590年)の北条家征伐時に前田利家、上杉景勝、真田昌幸、本多忠勝ら5万の大軍に囲まれ、三ヶ月の篭城の末、落城したことが有名です。
 この鉢形城の周りには、たくさんの支城があるようです。