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左が三の丸付近から見る本丸の様子です。 三の丸、二の丸にも若干の石垣があります。 (左下の石) と、考えると築城当時もこの登山道があったことが考えられます。
二の丸に入ると、もみじの絨毯が引き詰められていました。 登山道の入り口付近に、登山ノートがあるのですが、それによると、自分が登山する1・2週間前には紅葉の絶頂期だったようです。 ちなみに、この日の登山者は自分一人でした。
それとこのような高度な築城技術もあり、1600年の関が原の戦い前後まで、別所氏が在城していたにも関わらず、瓦が全くありません。 和田山町教育委員会発行の「但馬・和田山 史跡 竹田城跡」の八木城の説明にも瓦が全く存在していないことが記されております。
と、云うことはこの城の建造物は総て木造だったのでしょうか? なんとも不思議なお城です…。 |
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