但馬 八木城址

八木城址 2002年12月2日

名称

八木城址

城の種類

近世山城


 久々の登城で八木城址に行って参りました。
 上の写真は八木城・本丸です。 向こう側に見える山は八木城の土城です。
この八木城への登山は大変きつい。。。登り初めから尾根づたいをひたすら登ることになります。
 八木城は石城と土城とがあり、写真でも判るとおり石城の更に奥に土城が存在します。
後ほど写真等で説明しますが、石城にやっとの思いで登山した後への土城は「登るのやめよっかぁ」と、云う気持ちを抑えるのに必死でした。
 下の写真は本丸下の帯曲輪から写した本丸の石垣で、八木城一番の見所です。
 積み方は穴太積みで高さは約9㍍程あります。  丹波の黒井城などもそうですが、南側のみ石垣があります。  一番の要所に石垣を配したのでしょうか? それと、上の写真に写ってる石塁が一番目を惹かれました。 このような石塁を造ったところを考えると、高度な築城技術をあったと感じます。


 左の写真が登山口から暫く後に遭遇する曲輪です。 この様な曲輪が本丸まで続いています。 途中、土橋などもあります。
 登城での一番の難関は、登山道の入り口にあります。 有害鳥獣の駆除で、なんと八木城一帯に高電圧の鉄柵が張り巡らせれています。 登城の際にはこの鉄柵を一本づつ外す作業をしないとなりません。
 この作業でビビッタせいか柵の中に入るのに、5分ほど掛かりました。 

 左が三の丸付近から見る本丸の様子です。 三の丸、二の丸にも若干の石垣があります。 (左下の石) と、考えると築城当時もこの登山道があったことが考えられます。
 二の丸に入ると、もみじの絨毯が引き詰められていました。 登山道の入り口付近に、登山ノートがあるのですが、それによると、自分が登山する1・2週間前には紅葉の絶頂期だったようです。 ちなみに、この日の登山者は自分一人でした。
 それとこのような高度な築城技術もあり、1600年の関が原の戦い前後まで、別所氏が在城していたにも関わらず、瓦が全くありません。 和田山町教育委員会発行の「但馬・和田山 史跡 竹田城跡」の八木城の説明にも瓦が全く存在していないことが記されております。 
 と、云うことはこの城の建造物は総て木造だったのでしょうか? なんとも不思議なお城です…。


八木城・土城へと続く・・・