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左上の写真は本丸と二の丸の間にある空掘です。 さほど深さはありませんが、四百年以上の間に風化してしまい浅くなってしまったようにも見えます。
左の写真は本丸北側の帯郭です。 南側は石垣が詰まれていますが、北側はご覧のとおり石垣がありません。
この黒井城の石垣は荻野氏により築かれたとされていますが、実際はどうなのでしょう。 明智軍との戦闘前に南側の石垣を配し、北側は後に回されたままになったのか?初めから必要ないとしたのか? 黒井城落城後、明智氏によって石垣を配したのか?
黒井城の縄張りを見ると東西と北側には砦があるが南側だけ砦がないところを見ると、弱点部分に石垣を配したようにも考えられます。
まぁ、実際のところは偉い学者さんにお任せしますかぁ。はは。。。
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