丹波 黒井城址

黒井城:本丸

黒井城址 2002年4月15日

名称

黒井城址

城の種類

中世山城


 丹波、黒井城です。 別名、保月城とも言います。野面済みの石垣がとても印象的です。本丸・二の丸間にある石垣は高さ5㍍あります。
麓の大梅山 興禅寺は春日の局の生誕地としても有名です。


【黒井城の歴史】
 建武年間、赤松貞範(円心の次男)によって初めてこの地に山城を築いたとされています。その後、数代にわたり赤松家が丹波国春日部荘周辺を治めていたとされていますが、天正年間になり戦国時代の下克上により荻野(赤井)悪右衛門直正(おぎのあくうえもんなおまさ)が黒井城々主となります。(なんとも剛胆な名前です) 上の野面積みの石垣はその頃に築かれました。
 その後、明智光秀によって丹波制圧が始まり八上城陥落後、この黒井城も再三の攻撃により落城てしまいます。

 左上の写真は本丸と二の丸の間にある空掘です。 さほど深さはありませんが、四百年以上の間に風化してしまい浅くなってしまったようにも見えます。
 左の写真は本丸北側の帯郭です。 南側は石垣が詰まれていますが、北側はご覧のとおり石垣がありません。
 この黒井城の石垣は荻野氏により築かれたとされていますが、実際はどうなのでしょう。 明智軍との戦闘前に南側の石垣を配し、北側は後に回されたままになったのか?初めから必要ないとしたのか? 黒井城落城後、明智氏によって石垣を配したのか?
 黒井城の縄張りを見ると東西と北側には砦があるが南側だけ砦がないところを見ると、弱点部分に石垣を配したようにも考えられます。
 まぁ、実際のところは偉い学者さんにお任せしますかぁ。はは。。。


 二の丸の大手道側にある枡形虎口と思えわれる個所です。 石垣はこの写真ですと見えずらいですが、微かに土塁に石がへばりついておりました。

【黒井城へのアクセス】
 JR福知山線・黒井駅で下車、ホームを出て正面に黒井城がある猪の口山が見えます。 登山口の駐車場まで10分ぐらい、そこからコンクリートの階段がある登山道(新道)ルートで本丸まで40分ぐらいです。 ルートとしては他に大手町ルートがあります。

 春日の局の出生地、麓にある興禅寺の山門です。 手前には野面済みの石垣と水濠もあります。
 この奥にお福(春日の局の幼名)産湯の井戸があります。

 登城中、地元の方と知り合いになりいろいろ話を聞いたところ、山向こうの山林で熊が出たということで、その方は熊除けの鈴をしておりました。 この黒井城へも何百回も登っているとのことで、『自分は黒井城の城主じゃ!』と申されておりました。 帰り道、城主自らハンドルを握って頂き、登山口の駐車場から黒井駅まで車で送って頂きました。 この場をお借りして御礼を言いたいと思います。 ありがとうございました。