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この金山城のもう一つの見所は、やはり物見台下の岩盤を削った堀切(左の写真)と物見台下の通路にある馬場下通路(左下の写真)ではないでしょうか。
左下の写真、土橋の左側には左の写真にある堀切がそびえています。
木で見えないのですが、堀切の最上段には石垣が積まれた物見台があります。
そして、右下の写真にある馬場下通路にある土塁石垣、木橋、、竪堀と敵兵の侵入を拒む施設が連立して存在します。
麓から本丸への尾根筋にあたるこの部分は戦略上、重要地点としてこのような厳重な防御施設が備わったと考えられます。
写真のような岩盤のある地層は、大手虎口北下段曲輪まで続き、この金山城の石垣のふんだんさを物語っています。
【金山城のの概略】
文明元年(1469年) 新田一族であった岩松家純によって築城され、享禄元年(1528年)に家純の家臣、横瀬泰繁に下克上によって殺され、その息由良成繁・国繁親子によって金子城に全盛をもたらした。
天正12年(1584年)には北条氏により攻撃を受け、孤城半年後に和睦開城。天正18年(1590年) 豊臣秀吉の小田原征伐の際は攻撃を受けて落城し、廃城となる。 |
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