
武蔵 青山城
2017年の年明け、初登城となる城郭を埼玉県比企郡内六城を2週に掛けてめぐってまりりました。
今回は2週目第2弾、小川町の青山城です。
上の写真は青山城遠景となります。
青山城へは八高線がとおる青山口から登城しました。
ハイキングコースになっており、入山口の案内板には「青山城址・仙元山分岐まで35分」とありましたが、中年太りであるうp主が歩いて17分で着きました。
あくまでも参考情報としておいてもらいたいのですが、絶対走ってなんか登れません。
東京での通勤中に「八高線・小川町付近で猪と衝突して電車に遅延が発生」との情報が頭あり、入山時は念のため熊除けの鈴をつけました。
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【歴史】「日本城郭大系」によると築城年代に関しては不明と云うことですが、「小川町の『青木家譜』によれば天慶の乱*1後、
藤原成文の後裔氏宗がここに居住して青木氏を名乗り、、鎌倉幕府・関東管領に累代仕え、しばしば戦功をたてた。」とあります。
また、戦国期に入り「『関東古戦録』には永禄五年(1562)、「小田原より松山城には上田安礫斎(案独斎朝直)、
同上野介朝広を置き、青山、腰越のとりでと共に守らしむ」とあることから、松山城の出城としての役割を担っていたことが考えらます。
青山城の名前は青山側(西)では青山城と呼び、下里側(東)では割谷(わりや)城と呼ばれているそうです。
青山城の名前は青山側(西)では青山城と呼び、下里側(東)では割谷(わりや)城と呼ばれているそうです。
*1 :この地域では所謂「平将門の乱」を指す。
