美作 津山城 津山城・天守跡 2002年7月2日 名称 津山城 城の種類 平山城 美作 津山城です。 恥ずかしながら、『美作(みまさか)』の読みが最近までわかりませんでした。 「みさく?」な~んて、読んでおりました。。。(おはずかしぃ) 本題に入りまして。。。 感想としましては津山城には感服いたしました。 その一言に尽きるでしょう。 石垣の量にも驚かせられましたが、この城郭はあくまでも実戦用に築かれたと云う想いが、ものすごく感じ取れました。 にも係わらず、撮ってきた写真は駄作ばかり、う~ん。。。 【津山城の歴史】 この場所に応仁の乱の時代、山名氏によって築かれた山城がありましたが、その後廃城となり関が原の戦い後、森忠政により十三年の期間をかけて築かれたのがこの津山城です。 森氏といえば、森蘭丸が有名です。 蘭丸(長定)の末弟が忠政にあたります。 その後、元禄期に津山藩森家が改易になってしまいますが、二代藩主森長継が隠居中(87歳)であったため、森家の存命が許され本家和泉守長直が赤穂藩へ、分家対馬守長俊が作州から移封となり三日月藩が成立します。 赤穂藩への移封はあの内匠頭長矩が改易後、しばらくしてからの移封となり、この森家は三日月藩も含めて明治維新まで続くことになります。 左上の写真が裏鉄御門跡です。 梅雨時でもありましたが、搦手側は石垣と木々に囲まれ鬱蒼としており、少しゾクゾクッとした感じでした(決して夜は歩けません)。 この津山城は大手側と搦手側とでは印象がとても違います。 左の写真が天守跡から眺めた六番門の情景です。 まるで迷路のよう。。。 中央の石垣から櫓門となり、上方は天守閣に直結していたようです。 この写真の迷路部分も散策したかったのですが…。現在、工事中のため、この部分には入れません…。 この向こう側の石垣はきれいに石垣が積み直された?感じでした。 平成十六年度に完成予定の備中櫓です。 この為、天守付近の見学は鉄の壁に守られ突入!することが出来ませんでした。 自分としてはよく津山城のポスターになっている本丸からの高石垣の写真を備中櫓付近から撮りたかったのですが…。 左記の状況のため、断念した次第です。 工事現場は備中櫓付近でしたが、天守台への階段以外の左右の道は、工事中で鉄の壁が覆われ、見学が出来ませんでした。 その壁にも「芸」がなく、ただ白い鉄の壁に覆われている感じでした。 「工事期間中はしばらく我慢して!」と、云う感じでしょうが、もう少しサービスしてもよさそうなのですが…。 この津山城は西日本の桜の名所として大変有名です。 春だけではなく四季折々の草花が楽しめます。 この時期は梅雨時でもあり、紫陽花がとてもきれいに咲き乱れておりました。 秋には紅葉狩りも楽しめるようです。
美作 津山城
津山城・天守跡 2002年7月2日
名称
津山城
城の種類
平山城