丹波 岩尾城址

岩尾城址 天守台

岩尾城址 2003年1月1日

名称

岩尾城址

城の種類

近世山城


 平成15年元旦、岩尾城に初登城して参りました。
登城の際、麓の和田小学校の校門から入りましたが、当日、毎年恒例と思われるマラソン大会の真っ最中でした。 大会役員の方に「岩尾城は?」と、尋ねたところ、親切に登城入口までの道のりを教えてくださり、「存分に楽しんできてください」と声を掛けられ、「楽しめるんだぁ…」と思いつつも登城してまいりました。  やはり山城…。 登城はきつかったですが、前回の八木城よりかは少し楽でした。 
 上の写真が「古城物見台」と呼ばれるところから写した天守台(358㍍)です。 青く長細いものは「岩尾城保存会」(たしか)の方々が敷設したベンチです。 
 

 登城途中、大手門曲輪・南曲輪・下知殿丸曲輪などがあり、下知殿丸曲輪を過ぎると最初の城郭の遺構らしい堀切に辿り着きます。 ここまでくると天守台の頂上である箇所を一望できます。(石垣自体は見えませんでしたが)またその付近に井戸があり、まだ水をたたえておりました。 深さは7㍍ほどあるそうですが、観たところ自然の岩盤をくり貫いたようにも感じました。 昔の登山道はこの堀切付近からすごい傾斜をよじ登るようでしたが、現在は迂回ルートが整備され天守台まで楽に辿り着けます。 このルートにはちゃんと階段まで付けられていました。 自分の足では登城口より40分ほどで天守台に着きました。 作者の山城への登城は登城口から一気に天守台まで目もくれずに登っていきます。 途中遺構などもありますが、観察するのは下山途中に行いますが、今回それが失敗してしまいました。 頂上付近で石垣などを撮っているのに夢中になり、帰りのバスの時間が間に合わなくなりそうになりました。 おかけで途中の曲輪などを観る余裕がありませんでした。(残念)
 左の写真が天守台の北東に当たる石垣です。 この部分が天守台では非常に状態が良く残っておりました。

 左の写真が上の写真から一段下がった腰曲輪付近から撮影したものです。 下段が本丸の石垣、上段が天守台です。 本丸の石垣が少し崩れてしまっているのがお判りになるでしょうか? このような箇所が天守台付近に見受けられます。 早急な整備が必要です。
 自分が受けた感想としては登山者が縄張がわからないため、天守台に登る際に崩れた石垣を踏み込んでしまい、そこから石垣の崩壊が始まっているようにも感じられます。 自分ももしかするとそのような箇所を登ってしまったかもしれません。 気をつけないと…。
  

 左が岩尾城、最大の見所である西の丸の石垣です。 西の丸は石垣の形態をよく留めており、この右側が本丸へ通づる城門跡となっています。 以上の三つの写真は石垣の状態が良く見えていますが、城全体としては一番上の天守台の状態のように、藪で覆われていました。 二の丸に縄張図と説明書きがありましたが、天守台の南側付近の付櫓台・虎口・城門址付近の様子は自分の見方が不十分だったかもしれませんが、藪の中で判別が出来ませんでした。 
 しかし、登城の際の言葉が頂上についたら判ったような気がしました。 この登城で十分に楽しんできてまいりました。

 左の写真も岩尾城です。 これまでの写真とは異なり、北側の曲輪なのですが、石垣等は一切ありません。 この部分だけは前城主・和田日向守斉頼が築城した当時の状態が残っているようです。  天正7年(1579)5月に明智光秀の丹波侵攻で、一旦岩尾城は落城してしまいますが、その後佐野栄有などによって修築され天守台付近のような石垣が構築されます。 

 最期に、この岩尾城は国・県などの指定史跡には登録されていないようです。(間違っていたらすいません) 写真でも判るとおり、国の指定史跡として登録されても十分な遺構を有しています。 自分としては指定史跡に値するものと思うのですが…。