戸切地(へきりち)陣屋
【別名:穴平陣屋、松前陣屋、清川陣屋】
【城郭構造:稜堡式】
【天守構造:なし】
【築城主:江戸幕府⇒松前藩】
【築城年:1855年】
【廃城年:1868年】
【遺構:土塁、堀、火薬庫跡】
【指定文化財:国の史跡】
<登城:令和元年12月3日>
箱館開港に伴い、江戸幕府の命により松前藩が蝦夷地防衛のため安政2年(1855)に構築した日本国内初の西洋式星型要塞です。
松前藩士 藤原主馬の設計によって縄張りされたとされ、四稜郭で亀のような形をしており、頭部にあたる部分に6基の砲座がある構造となっております。
郭内には17棟の建物跡があって150人前後の松前藩士らが生活していたと考えられています。
戸切地陣屋の遺構
明治元年(1868)の箱館戦争では、旧幕府軍は蝦夷地に上陸し、大鳥圭介率いる伝習隊が戸切地陣屋近くの大野方面へ進撃してきました。
戸切地陣屋の備頭(守備隊長)竹田作郎率いる松前藩兵は大野の防衛のため出兵し、10月24日、意冨比神社(おおひじんじゃ)付近で伝習隊と会戦し、
あえなく敗退してしまいます。 おそらく戸切地陣屋へ敗走して陣屋を自焼し撤退したものと考えられます。
この間、戸切地陣屋の砲台で砲弾が炸裂された機会があったのでしょうか。
会戦のあった意冨比神社までは4㎞弱、当時の大砲では非力だったか...
搦手門
この会戦において、築城後の13年間という短期間で城としての役目を終えることになりました。
しかし松前藩にとっては、この13年間が激動の時代でした。
詳細は松前城の説明にて...