羽前 鶴ヶ岡城

鶴ヶ岡城

鶴ヶ岡城 2009年7月16日

名 称

鶴ヶ岡城

種 類 平 城
住 所 鶴岡市馬場町

 山形県お城めぐりシリーズ第1弾・最上 鶴ヶ岡城です。

 上の写真が鶴ヶ岡城を二の丸から本丸にある鶴岡護国神社を見た様子です。
 登城した感想としては、水堀に囲まれ落ち着いた憩いの公園といった感じでした。
 遺構は内堀、外堀からなる二重の水堀を中心に、本丸と二の丸を囲む幅の広い土塁があります。

 左の写真が本丸の北西にある御角櫓跡です。 本丸にある荘内神社の境内には石垣の上に建つ二層のお角櫓復原図があり、鶴岡市民にお角櫓の復元を促しておりました。

 この鶴岡市周辺には鎌倉時代から、大宝寺氏(武藤氏)によって治められていました。  戦国時代、庄内地方では上杉氏・本庄氏・最上氏、更には大宝寺氏の身内からの反抗などもあり、歴代の大宝寺城・城主たちはなかなか領内をまとめる事が出来ず、辛酸をなめていました。
 戦国期後半には、最上氏の手引で大宝寺氏の家臣によって、大宝寺氏が滅んでしまいます。
 

 上杉景勝→最上義光→酒井忠勝と次々に城主を替えますが、最上氏改易後は酒井家が幕末まで江戸時代を通して、庄内藩を治めていきます。
 幕末の戊辰戦争では、奥羽列藩同盟の一員として官軍と戦い、新庄藩や秋田藩の領内に侵攻、次々と官軍を打ち破り勝ち進んでいきますが、奥羽列藩同盟の先導役である会津藩や東北諸藩が次々と降伏していくと、庄内藩もこれに倣い恭順します。