|
左の写真が松山歴史公園内にある、丸馬出跡の土塁です。 上記大手門の南側に位置します。
【作者のひとり言】
それにしても、松山藩三代藩主:忠休は、約55年間の藩主在任中、江戸幕府の若年寄の期間が約38年間。 晩年にはその功績が認められて、幕府から築城を許されますが、亡くなるまで若年寄であり続けたので、若年寄の特権でもある参勤交代のない定府(江戸にずっといること)、殆ど松山藩には在城していなかったのではないでしょうか。 この忠休が亡くなってしまうと、若年寄の公職も無くなって参勤交代が発生、亡くなった時点で松山城の築城は中止されましたが、築城時の費用や維持費が発生。 忠休の功績はある意味、以降の松山藩にとって、とてつもなく重いものになってしまったのではないでしょうか。
|
|