
下野 川崎城

川崎城 2005年7月16日
名 称
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川崎城(別称:塩谷城)
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種 類 |
平山城 |
住 所 |
矢板市川崎反町 |
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下野・川崎城です。
川崎城跡には、麓に駐車場が完備しているのですが、そこに案内板があり、以下の説明がありました。
『川崎城跡は、市民の人々に「城山」と呼ばれて親しまれていますが、古くは「塩谷城」などと呼ばれていました。
この城跡は、平安時代末から戦国時代にかけて塩谷地方の北西部を支配した「塩谷氏」の本拠地です。「城山」と呼ばれるように城は、丘陵全体を使って造られた「山城」です。城跡の範囲は、北は城の湯温泉センターの西まで、南は北窪不動尊の「堀江山」と呼ばれる所までの、南北約1500mにおよび、東西の宮川と弁天川の間約340mです。城の主郭部は、城跡の中央やや南に位置し、東西44m、南北140m程の三日月形を示しています。主郭部と東の宮川との標高差は、約47mで急斜面となっています。 |
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この城跡の築城者は、塩谷朝業と考えられています。朝業は、宇都宮業綱の二男で鎌倉幕府の御家人として力を発揮し、将軍実朝と和歌を通じて親しくなりました。中世文学史に残る歌集「信生法師集」を残しています。また、朝業の二男時朝が笠間城主となっていることから笠間市と姉妹都市になりました。城跡には多くの梅が植えられていますが、朝業と将軍実朝が和歌を詠んだ句に梅を詠んでいることにちなんでいます。』
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