摂津
大坂城
大坂城・天守閣 2002年4月13日
名称
大坂城 天守閣
城の種類
平山城
みなさまおわかりですね? 大坂城です。
昨年(平成十三年)の四月ごろにも訪れまして、今回が約一年ぶりの再登城となりました。
上の写真は
観光客がいなくなるのを待ちに待って撮影した桜門越しの大阪城天守閣です。
天守閣下に見える巨石が有名な蛸石です。 近くの説明文に『およそ三十六畳敷(60㎡)推定重量60t』とあり、大阪城内最大の巨石だと言うことです。 比較物がないので蛸石の大きさが実感できないと思い別の写真も用意しました。 (上記の写真をクリックすると拡大写真が表示されます)
この巨石は岡山藩主、池田忠雄(姫路の池田輝正の三男)が担当し岡山県からこの大阪城へ持って来たものだそうです。
作者は真田一族が戦国武将の中では一番好きで、実は大坂城を登城する前に真田山公園に行って参りました。 たしかその近辺に大阪城へ通ずるといわれる抜け穴が現在でもある。とう云うような話を聞き、いざ真田山公園を目指したのですが、抜け穴らしき遺構をみつけられませんでした。。。周辺をトボトボと歩いた挙句、大阪城へ来てしまったしだいです。
途中、『空掘』なる地名があり、大坂城のスケールの大きさ(豊臣時代)を伺え知りました。 あと細川ガラシャが屋敷に火をかけて最期を遂げたという細川屋敷跡(看板のみ)を見ることが出来ました。
後にわかったことですが、真田山の抜け穴は真田山公園ではなく、その北側にある宰相山公園の三光神社にあるとのことです。(大阪市営長掘鶴見緑地線・玉造駅すぐ)
気持ちを入れ替え大坂城に着き、今回は何を題材に大坂城を攻めようかと考え、『南外濠にある櫓群』を題材にしました。
左上の写真が
『南外濠にある櫓群』の一つ一番櫓です。 現存する『南外濠にある櫓群』は一番櫓と六番櫓しかありません。
左の写真が
その六番櫓です。 江戸時代末期までここにニ・三・四・五・七番櫓がありました。
下の『櫓写真館』ボタンを押すと一番櫓から六番櫓を見ることが出来ます。
最後に西の丸の西北にある乾櫓です。
少し変わった形をしております。長方形の櫓をLの字にくっつけ合わせたように見えます。(実際は裏側から見ていないので詳細はわかりませんが!)
昨年初めて大坂城へ行き、天守閣の資料館を見学したとき現在の大坂城は豊臣時代の大坂城に盛り土した上にあると知り、衝撃を受けました。 見学する前は豊臣時代の遺構をそのままに徳川の大坂城を築城したと思っていました。
実際に天主近くの土の下には豊臣時代の石垣があり、焦げつい跡があるそうです。