永山城
永山城は、市街地北部にある三隈三山の一つである月隈山(つきくまさん)に築かれた平山城です。
本丸跡に川石を用いた丸石の野面積みの石垣と算木積みの隅を持つ石垣が残ります。
1601年に小川光氏によって築かれ丸山城と名づけたといわれていますが、石川氏入封後に城の改築と城下町の移転などが行われ、
1633年中津藩の預かりをへて、幕府直轄領となりました。初代代官に小川氏が入城し同代官によって1639年に廃城となり、日田陣屋が置かれました。
江戸中期、揖斐政俊の時に西国筋郡代役所となり、最後の西国筋郡代となった33代・代官窪田鎮勝が幕府歩兵部隊の「制勝隊」を解散する明治元年まで続きました。
その後、日田県知事松方正義(後の第4代総理大臣)によって旧三の丸に知事官邸と日田県庁舎が設けられ、大分県に合併されるまで日田県政を司りました。