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上の写真は大手門脇に建つ、二層櫓・平櫓・井楼(せいろう)と、それを取り巻く板塀です。
往時、この板塀は土塀となって一・二曲輪の土塁上を、めぐっていたことが発掘の結果判ったそうです。
この二層櫓は縦横3間の櫓台の痕跡があったことから、時代背景に基づいて復元しています。
左の写真は、二層櫓から見た平櫓と井楼です。
その向こう側は築城時、蓮沼があった箇所に当たります。
この平櫓は外堀にある犬走りに出るための木戸でもあったようです。
左下の写真が、二曲輪の横矢掛りにあたる空掘と土塁です。
この空掘と土塁は「比高二重土塁壕」と呼ばれており、城内側の土塁が高く、城外側の土塁が低く積まれております。
このような築城技術は後北条家特有のもので、この城が飯沼城である証でもあります。
この二曲輪の空掘は実際はこれより3m程深くなっていて、遺構の保護のために埋め戻されています。
この空掘が3mの深さがあったとすると、同じ北条家の空掘である、埼玉県の岩槻城の鍛冶曲輪の空掘を連想すると、当時の逆井城の空掘の様相が想像つくかもしれません。
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