播磨 明石城

明石城 2001年8月12日

名称

明石城

城の種類

平山城


 阪神大震災からの復興が終わった明石城です。
明石駅から向かって左側が坤櫓,右側が巽櫓となります。 大阪夏の陣後に築城された城郭のためか,天守台に天守閣は建てられませんでした。 しかし江戸時代までは現在ある2つの櫓のほかに,あと2つ櫓がありました。 ちょうど坤櫓の後ろ側に天守台があり,またその後方に乾櫓がありました。それと巽櫓の後ろ側にも艮櫓がありました。 この櫓は明治初期,学校の建築材として解体されてしまったそうです。(残念)
 明石城を見てきた感想は,敷地がものすごく広いことです。
 櫓の周りには競技場・野球場・自転車競技場や図書館など,たくさんの公共施設がありました。


 左の写真が乾櫓跡です。 写真左側の石垣の突端部分が櫓の端にあたると思われます。 また右の写真は石垣の突端部分を上から写したものです。 写真下が櫓の礎石とおもわるもので,その先が石垣の突端になります。 この写真だとわかりづらいですが。 石垣の手前に拳大ぐらいの石が引き詰められていました。 石垣の作成方法がよくわかる貴重な資料です。 現在までこの様な石垣を保っていられることがよくわかります。


 左の写真が明石駅から見て巽櫓の後ろ側にあった艮櫓跡です。 この櫓は明治初期に学校の建築材として解体されしまったのですが,昭和53年に調査され文献どおり四間×五間の櫓があったことが確認されたそうです。
 右側の写真が桜堀付近から撮影した艮櫓跡です。


 左側の写真が坤櫓の後ろ側にある天守台です。 写真ですと比較するものがないので判りづらいですが,かなり大規模なものです。
 右側の写真の裏側にある天守台に登る階段です。 階段の一番右下には灯篭の台が使用されています。(写真をクリックすると拡大写真が表示されます) 石材が不足していたのでしょう。 姫路城などでも見受けられます。

 最後に巽櫓の写真です。
ここで作者にとっては疑問がひとつ残ります。
 それは櫓の向きです。 明石駅方面から坤櫓を見ると屋根の三角形側が手前に見られますが,巽櫓はその逆です。
 明石城には4つの櫓がありましたが,またその向き方も違っていたのでないかと推察できます。
 櫓の向き方とかって,決まりがあるのでしょうか?
 またその理由がわかりましたら,ここへ記載したいと思います。。。