根室半島チャシ跡群[百名城:01]
【日本百名城:01】
【チャシ群名:ポンモイチャシ、ピリカヲタチャシ、ヲンネモトチャシ、サツコタンチャシ、コンブウシムイチャシ、トーシャム2号チャシ、アッケシエトチャシ、
ウェンナイチャシ・ニランケウシチャシ、シエナハウシチャシ・コタンケシチャシ・ノッカマフチャシ、チャルコロモイチャシ、アフラモイチャシ】
【構造:面崖式および丘先式】
【遺構:空堀】
【指定史跡:国の史跡】
<登城:令和元年9月17日>
日本百名城の1番目に登録された「根室半島チャシ跡群」です。 チャシという呼称は色々な学者達によって見解が分かれており、一概にこれだ!という説明が語れないのではないかと思います。
一応百名城の一つでもあり「砦」と云うカテゴリーにはなっていますが、自分にはお寺や神社みたいな祭祀を司る場所だったのではないかと感じました。
写真はタイトルの納沙布岬灯台近くにあるポンモイチャシといわれる丘先式といわれる形式の遺構になります。 灯台から数分の場所にありますが、存在を知らなければスルーしてしまうこと確実です。
史跡標記柱がなければ其処がどのような場所か判別がつかないかと思います。
根室半島チャシ跡群の遺構
ヲンネモトチャシ
根室半島チャシ跡群」の中で1番代表的なヲンネモトチャシです。 駐車場に車を置き、さぁ登城と思い、
「フ」と案内板を見ると「令和元年6月15日近くで熊🐻の出没が確認されました...」(登城日は令和元年9月17日)との注意書きに、
一気に血の気が引きました。 が、ここは意を決して突入。。。チャシの様子は映像の通りです。
トーサムポロチャシ
こちらは納沙布岬から根室市内へ向かう途中にあるトーサムポロ沼になり、この沼の周辺にチャシが数カ所集中して点在しています。
汽水湖(海水と淡水が入り交じっている湖)なので当時から魚が豊富に採れたのでしょう。
北海道特有なのか、なんとなく、ここが日本であることを忘れてしまうような情景です。。
ノッカマフチャシ
最後はノッカマフチャシの遠景になります。 根室半島チャシ跡群で整備されているチャシは、ここ「ノッカマフチャシ」と「ヲンネモトチャシ」の2カ所になります。
この写真のチャシの駐車場入口まで来たのですが、茂みをかすめて進む散策路を見て先ほどの熊🐻の注意喚起の看板が目に浮かび、
熊の活動時間帯でもある夕方(17時ぐらい)にも重なり、この遠映だけで良しとしました。
【ノツカマップの歴史】(現地説明板より抜粋)
この地はノツカマップというアイヌ語地名で「岬のあるところ」という意味です。宝暦4年(1754)には松前藩の役人やこの地を経営する和人が住むようになりました。
寛政元年(1789)には、この地域を治めていた和人が、アイヌ民族に対し過酷な労働や暴力的な支配を行ったことが原因で、クナシリやメナシ(羅臼・標津)地方のアイヌ民族が和人71人を殺害する「クナシリ・メナシの戦い」がおきます。
その後、松前藩は鎮圧軍を派遣し、戦いに関わったアイヌ民族37人をこの地に集め、処刑しました。それまでは、ノツカマップはこの地方の中心地でしたが、この事件をきっかけに現在の根室港周辺に中心が移りました。
「根室半島チャシ跡群」で歴史のあるここ「ノマカップチャシ」、もう一度意を決して登城すればよかったと、後悔しております。。