蝦夷 松前城
【日本百名城:03番】
松前城の特筆べきところは、最後の日本式築城であるということです。
この城の歴史は古く、築城者である松前氏一族は15世紀中頃からはじまり廃藩に至るまで(幕末時の一時期を除く)、松前藩を治めていました。
嘉永2年(1849年)幕府は蝦夷地近海に出没する外国船を警戒するため、時の13代藩主:松前崇廣(たかひろ)に命じて今まである福山館を改め、新城として松前城を築城しました。 それが結果的に最後の日本式城郭となり、その系譜が箱館戦争まで続きます。
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上の1,2枚目の写真が現存する重要文化財の本丸御門です。 礎石(花崗岩)の色が本州の石垣と比べ、少し緑かかっていたのが印象的でした。
下の写真が本丸表御殿玄関で、福山館からある建造物で寛永16年に建造されたそうです。
その後、松前城築城の際も本丸御殿はそのまま使用されておりました。 明治維新後、明治33年まで本丸御殿は小学校として使用されていたそうですが、その後、新校舎が立てられた際、この玄関だけを残して本丸御殿は取り壊されてしまいました。
箱館戦争では旧幕府軍の榎本艦隊が函館へ上陸し五稜郭を占拠、矛先は松前城に向けられますが、その一団(額兵隊)を率いたのが、あの新撰組副長 土方歳三です。 松前藩士・旧幕府軍双方に多数の戦死者をだし松前城は陥落します。
幕府の命により築城された松前城を、この時点で消滅しているとはいえ旧幕府軍がこの城に攻め込んだというのは考え深いところです。
時代は遡って松前館時代の関が原合戦後の大阪冬の陣では、豊臣方に加勢するという意見を持った藩士が、登城の際に暗殺される事件もあったようです。
中央と遠く離れたこの地で、このような事件が起こっていたとは驚く限りです。