備中高松城の戦い後、吉川元春は天正11年(1583年)に隠居し、隠居館の建設を開始。天正12年(1584年)までに入居しましたが、 九州出兵中の天正14年(1586年)に小倉城二の丸の陣中において病死してしまいました。 翌年、跡を継いだ吉川元長も死去し、弟の吉川広家の代に完成。 広家が天正19年(1591年)に月山富田城へ転封した際に廃城になったとみられ、関ヶ原の戦い後の検地帳では城館跡と記されてたそうです。 最期はせめて、この地で息を引き取って欲しかった…そんな夕暮れどきの城館でした。