郡山城 [百名城:72]
<西国の覇者、毛利元就のお城>
映像は本丸にて二の丸方向からパンして本丸の跡碑を撮りました。
毛利元就公の墓から本丸へと登城しました。 登山道はよく整備され、残雪が残り少しぬかるんでる箇所はありましたが
登城には問題なかった印象です。 一般の方であれば難なく本丸まで登城できると思います。
が、0.1㌧越えの自分は本丸に着いたころには、這う這うの体となる有様、情けない...
この登城から四半世紀ほど前に広島在住の方から写真を提供して頂いたサイトが
コチラとなります。
郡山城の遺構
1枚目は御蔵屋敷跡から見る釣井の壇の先端へと続く曲輪と井戸跡になります。 2枚目は三の丸下に広がる破壊された石垣群です。
「三の丸石垣」と説明があるのですが、大変恥ずかしながら自分には石くれが散乱しているだけにしか見えませんでした。
関ヶ原の戦い以降、毛利氏は防長減封により周防国・長門国の二ヶ国に減封されてしまいますが、それ以前に毛利元就の孫、
輝元によって広島城が築城され居城を移した天正九年(1591)には、ここ郡山城は廃城となっていたようです。
しかし、この石垣が散乱されているところをみると、一国一城令や島原の乱のあとの破却命令などにより、このような状態となったように思います...う~ん。残念(>_<)
3枚目は勢溜の壇になり、御蔵屋敷跡から尾根伝いに、ほぼ一直線で曲輪が並んでおり、本丸・二の丸に次いで防御施設としては、この城の屋台骨になっていたようにおもいます。
この曲輪の特徴から見て、勢溜(せだまり)って武者溜りと同意語?かと調べてみたら、バッチリその通りでした。
4枚目が、その勢溜の壇突端の曲輪から見る安芸高田市の街並みになります。
5枚目の写真が尾崎丸の堀切です。 この堀切の向こう側が尾崎丸への曲輪と続くのですが、確認忘れました…
毛利隆元の居館があったとされる曲輪になります。
最後が旧本城へと続く登城道になります。最初は向かう予定だったのですが、落ち葉に埋もれた道をみて体力的に見ても
危なそうだったので、登城は辞めときました…。

