梁川城
以下、福島県教育委員会からの説明文から抜粋
「梁川城は、伊達氏によって、鎌倉時代に築城されたとみられる。城跡から十三世紀後半よりの遺物が出土しており、
十四世紀末に活躍した大膳太夫正宗のころには、本城として使用されていた可能性がある。以後伊達氏は室町幕府との関係を深めつつ、
持宗・成宗と勢力を拡大、大永三年(1523)伊達稙宗が陸奥国守護に補任されるに及んで、梁川城は奥州の政治的中枢を占めるにいたった。
天文元年(1532)稙宗が本拠を桑折西山に移してからは、伊達領国の重要な支城となり、天正十八年(1590)蒲生氏の支城、慶長三年(1598)上杉氏の
支城となった。そののち寛文四年(1664)廃城とされたが、文化四年(1807)から文政四年(1821)の間は松前章広の本拠地となった」
この梁川城に興味を覚えたのが、上記文末にある蝦夷地唯一の松前藩が幕末の一時期、この梁川城に転封されていたことです。
ここ梁川では蝦夷地とは異なり石高制による治世を行わなければならなかった筈で、藩政に辛苦をなめたことでしょう。
度重なる領地の接収や転封などの労が重なり幕府への不満が膨れあがっていき、それが箱館戦争への旧幕府軍との戦いに繋がっていったのかと、
この地を訪れて想い馳せました。