
伊予 松山城

松山城 天守閣 2003年3月15日
上の写真は現存天守の十二城の一つ、伊予 松山城の天守です。
広島県在住の方からの写真です。 いつもありがとうございます。 <(_ _)>
≪2011.02.26 更新≫
右下の写真は職場の友人の親族の方から戴いた写真です。
何処の写真であるか聞いていないですが、調べてみると二の丸にある槻門・西大砲台石垣であることが判りました。 右側に続く道が本丸に続く大手道になります。
この松山城以外にも四国旅行で何箇所かお城めぐりをされて写真を戴いております。
ありがとうございます。
撮っていただいた方もお城ファンでいらっしゃるらしく、頂いた写真のアングルがお城好きを感じされられます。
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【松山城の歴史】
「賤ヶ岳の七本槍」の一人、加藤嘉明が慶長七年(1602)より現在の地に築城を開始。 二十数年後の寛永四年(1627)に完成したとされています。 完成した年には20万石を加増され会津若松城へ転封となります。
その後、蒲生氏が移封しましたが、嗣子なく断絶してしまいました。
翌年、松平定行が松山城に15万石で移り、以後松平氏が明治維新に至るまで松山城を治めます。
築城時には五層の天守だったのが、松平氏の代になって三層の天守に改めたようです。
その後、落雷に遭い本丸の建物を総て焼失。 改めて築城するには、数十年経って幕府の許可を得、安政元年(1854)の幕末に再建されました。
ですので、現存天守の中でも一番新しいものとなります。
いつかは自分の目で見に行きたいです。。。 |

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