羽前 猿羽根楯

猿羽根楯

猿羽根楯 2009年7月17日

名 称

猿羽根楯

種 類 平山城
住 所 最上郡舟形町富田

 山形県お城めぐりシリーズ第5弾・最上 猿羽根楯です。
 山形城址の名称の最後で、よく楯(館)という文字を見ますが、意味を調べてみると。。。よく判りません。 城址には違いがないのですがぁ、城と楯との違いの定義が何処かにあるのでしょうかぁ?

 この楯は清水城址に行く途中に「猿羽根城」の看板を見付けて、写真を撮ってみました。
 目的の清水城址見学後、時間があったら再登城しようと思ったのですが、タイムアウト!
 清水城址見学後は日が沈みかけておりましたぁ。。残念。

 下記に猿羽根楯の案内板の文章を提示します。
「猿羽根楯跡 延文五年(1360)」に、八幡太郎義家将軍の末孫、源次郎義元の二男、源次郎義高という人が奥州よりこの地に来て、小国川と最上川の合流する轟という所に楯を築いた。
 その後、貞治元年(1362)に沢口山のこの地に、轟より楯を移した。
 この土地の名前をとって、猿羽根播磨守源次郎義高と称し、以後、猿羽根家の居城となり、天正十七年(1589)までの227年間、七代にわたり、670貫(6700石)を領していた。
 九代目義舜(よしずみ)公の時、山形城主最上義光に従わずせめられ、城主は天正十七年六月十七日東根市長瀞において切腹した。これによって猿羽根家は断絶し、以後山形の配下となった。
 猿羽根村【文化七年(1824)富田村と改称は、街路が五番目のように区画されており、城下集落として開けた村である。楯跡は、平成七年 町史跡指定された。又本丸に楯主御手植えと伝えられている町指定の親杉がある。              平成十年十一月    町立富長小学校」

 舟形町HPの「舟形町の歴史」を参照すると、「源義家9代の孫、義之の二男、源次郎義高奥州より来たり~」とあるので、こちらの方が信憑性がありそうですねぇ。 源氏の流れを汲む武将が200年以上の間、この地を領していたとは驚きました。