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【山中城の歴史と立地条件】
三島市教育委員会の説明によると、『小田原に本城のあった北条氏が、永禄年間(1558~1570に築城したと伝えられている中世最末期の山城である。』と説明しています。
この山中城最大の攻防は小田原の役(天正十八年(1590))、豊臣秀次軍による北条征伐の最先鋒となった戦いです。
多勢に無勢、たった半日の攻防で山中城は堕ちてしまいますが、その表舞台とは裏腹に、この山中城の遺構は非常に興味をそそられる内容になっています。
旧東海道を、両翼の形で覆いかぶさるように、山中城と岱崎出丸が存在します。
そして中山城最大の遺構、右翼の先端にあたる西櫓周辺に畝堀・障子堀(一番下の写真)が広がっています。
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