備中 鬼ノ城
鬼ノ城 2009年6月14日
鬼ノ城(きのじょう)・復元された西門遺構の写真です。
広島県在住の方からの頂きました写真です。 毎回ありがとうございます。
このお城は七世紀前後に建てられた山城で、種類としては神籠石式山城(こうごいししきやましろ)と云います。
この神籠石式山城は「日本書紀」「続日本書紀」に記載がなく、遺構でしか存在の確認できない山城のことを指します。 また逆に「日本書紀」「続日本書紀」に記載がある山城のことを古代山城と云うそうです。
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左の写真は城郭の東側にある屏風折れの石垣です。 当時このような石垣や土塁が全周約2.8㎞にわたっていました。
大化の改新(大化二年:646)(日本最初の元号)で中心的な人物である「中大兄皇子」が、
天皇に即位し天智天皇となった天智二年(663)、朝鮮半島にあった友好国・百済が唐に滅ぼされると、倭国が百済を復興すべくして戦った「白村江の戦い」で大敗を喫します。
敗戦後、天智天皇は唐・新羅の報復に備えて九州や瀬戸内海沿岸地域に防御施設を築きます。
そのうちの一つに、鬼ノ城があったと考えられています。 |
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この年代で、これほどの石材を積んだ山城があったとは大変な驚きです。
しかも、朝鮮式山城というではありませんか。2度びっくり。。。
戦国時代に入る約800年前に、このような山城があったとは。歴史って深いなぁ~と感服します。
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