左上の写真が平台の突端に位置する土橋です。 更にマウスを合わせると土橋を渡りきった位置にある曲輪になります。 この曲輪を左に空掘を下りてから、更に先にある曲輪に通じることになります。 当時は御馬家台と平台の間と同様に、橋が架かっていたのかもしれません。
右上の写真が土橋から右側に広がる空掘を写したものです。 写真上で表現できないのですが、非常に深い空掘になっています。 当時は更に堆積物が取り払われていることを考えると、非常に大規模な遺構です。
マウスを合わせると土橋を渡り切った先にある空掘を、城跡北側に広がる公園側から撮影したものです。 この辺の遺構は複雑で、土橋が架かっている空掘りと、更にその先に跨る空掘と二重構造になっています。
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