広島城 [百名城:73]
令和8年3月22日 <広島城閉城>
令和8年3月22日、広島城閉城になります。
1958年に鉄筋コンクリート造で外観復元された現在の天守は、築後60年以上が経過してコンクリートの劣化や設備の老朽化が進み、
耐震性不足によって安全面への配慮から閉館が決定されたそうです。なお、閉場後も外観はそのまま見れるそうです。
広島城が閉城になると聞き及び、年内最後の公開日に登城して参りました…
この登城から四半世紀前に広島在住の方から写真を提供して頂いたり、十数年前に作者が登城した際のサイトが
コチラとなります。
左下の写真が天守から見た平和記念公園方面です。遠くに厳島方面の山容も見えます。 この光景も令和8年3月以降は見えなくなってしまいます。
次が平成六年(1994)に二の丸の手前から表御門、多聞櫓、太鼓櫓と、共に木造で復元された建造物になります。 いつかは天守も木造で復元されるのでしょうか。
その際は是非、来城したいと思います。
最後の写真、現地の説明に「福島正則が広島城の無断修復を幕府に咎められた時に、取り壊した石垣の跡と考えられています。
幕府が取り壊しを命じたのは別の場所とされ、これに従わなかったことなどを理由に、福島正則は広島を去ることになりました。」とあり、あたりには
正則が築いたとされる石垣の刻印がありました。
現代となり色々と、この改易理由が唱えられていますが... 豊臣家の栄枯盛衰がそのまま襲い掛かかり、うまく自分の立ち回りを演じられなかった
不器用な武将ということになるのでしょうか。 そんな一言ではすまない色々な理由が彼には渦巻いていたように自分には思えます。

