出羽 脇本城
上の写真は続百名城、脇本城の赤平部分の郭となります。
文化七年(1810)の大地震の際に生鼻岬(赤平)先端部分700メートルが海に没したと説明がありましたので、築城当時は更に岬の先端まで遺構があったことになります。
下の映像が赤平先端部分から撮影したものになります。
脇本城の全体的な印象としては、現地の案内板にも説明がありましたが、日本海側からの強風に対して土塁を配し、各郭内にあったであろう構築物を防護しているように見受けられました。
今は没している生鼻岬の先端へ続く郭群、上の静止画にある男山頂上部分にあったであろう櫓、そこから眺望したかもしれない安東愛季。
そう想像するだけでお腹いっぱいの[うp主]でした。。
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この脇本城を語るには、安東愛季(ちかすえ/よしすえ)の力が必要になります。
檜山(能代)と湊(秋田市土埼)に分裂した安東家の統一を成し遂げ、羽後国の覇者となった愛季の全盛期、
天正五年(1577)に脇本城の大規模な改修を行って居城します。
地政学的にちょうど檜山と湊の中間的な場所に位置し、湊系の安東氏を吸収した愛季にしてみれば、睨みを利かした位置にあります。
下のスタンプは平成29年(2017)4月6日に続日本100名城(106番)に選定された証となります。
脇本城の入り口がある国道101号からの登り口を上がり、菅原神社を横目に10分程でスタンプが常設しているプレハブ小屋に着きます。
脇本城へはJR脇本駅から徒歩で約30分(中年[うp主])程で入り口の鳥居付近まで辿り着きます。
夏休み明けの平日でもあり、この日の登城者は居ないかなぁ?と思っていましたが。自分を含めて4名程脇本城にてお見掛けしました。 やはり続百名城への登録が反映されていのでしょうか。
脇本駅では地元の年配の方とお話ができて、「最近脇本城が続百名城の一つとなって注目されている」とお伝えしたところ、ご存じではなかったようです。。そのほかにも世間話をして相槌を打たせて頂きましたが、。。四分の一ぐらい、話の内容が判りませんでした。ごめんなさい。